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嫌な先輩について(1)

そろそろ夏休みの過ごし方が気になる時期ですね。

私が新任検察官当時は、刑事部(捜査を担当)から始まり、少し交通部に行ったような記憶がありますが、10月からは公判部に移りました。8月のことであったと思います。刑事部の筆頭検察官(本部係・甲さん)から刑事部に配属中の新任検察官3名に呼出があり、選挙違反の捜査に応援として加わるよう命じられました。甲さんは、その後、自分が起訴した事件の関係で公判部に移りました。

次の筆頭検察官から、殺人事件の捜査の応援に入って、所在不明になるおそれがあった目撃者から事情を聴いて検察官面前調書を作成するよう命じられました。この事情聴取は午後3時頃に始まり、リアルさを追求した結果、午後11時に調書を締めることができました。つまり、検察官として、調書の末尾に署名押印が完了したということです。検察官としての署名押印がなければ、供述人がその後所在不明になって公判廷で供述することができない場合、検察官面前調書が伝聞法則の例外として採用してもらえないのです(刑事訴訟法321条1項2号前段)。筆頭検察官は待ちくたびれて、酒を呑まれたようでグテングテンの状態でした。しかし、私にとっては良い思い出になりました。

そして、9月のことだったと思います。取調べの真っ最中であった私のところに、先輩の検察官(乙にしましょう。「さん」を付ける必要もないです。)から電話がありましたが、一度は取調べ中ということで許してもらえました。しかし、2度目は「取調べを中断して来い。」と言うので、特捜部の検察官室に行くと、態度がでかい検察官がいました。いきなり、ロッカーの扉を開けて、「お前が立会うことになる裁判所の部に事件が係属したから、保釈の求意見が来たら、この記録を見て書いてくれ。俺はこの捜査が終わって、明日から夏休みだから。」と言いました。ロッカーの上から下までびっしり詰まっている記録を見て、気が重くなると同時に、こいつ殴ってやろうかなあと思いました。

しかし、その後、私は、保釈に対する求意見を起案した記憶がありません。というのは、元々事件は裁判官一人で審理する事件でしたが、担当の裁判官(合議体では部長をされているベテラン)が私にはこの事件は荷が重いと思われたのか、合議体で審理することに変更された結果(裁定合議事件)、その公判には室長の甲さんが立会することになり、私の手を離れたからです。


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平成27年7月30日のお弁当です。早弁をして、午後から倉敷の裁判所で行われる尋問に備えましたが、深追いし過ぎたために異議を申し立てられました。裁判官も癖のある人でした。


同月31日午前中、外回りから戻ったら、芋けんぴ1袋が私のパソコンのところに置いてありました。ゲット、ゲット!それにしても異様な暑さで、バスに乗ってから、汗がダラダラ流れました。バスの中の方が暑かったかもしれません。
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コメント

[C2222] 最低な上司

私が新任検事の時に最初についた直属の上司(刑事部副部長=以下「クソ上司」という。)が最低の奴でした。能力がなく、刑事部長にいつも怒られていたため、「お前のせいで俺が部長に怒られたらどうしてくれるんだ。」などと情けない台詞を恥ずかしげもなく吐きながら、起訴決裁時に、起訴状に自ら手を入れながら、さらに自分が手を入れた部分まで書き直して真っ黒にし、それを最低5回は繰り返すなどという愚行に及んでおり(それでも刑事部長からダメ出しが出て、結局私が持っていった最初の案と殆ど変わらないものが最終的な起訴状となっていました)、調書についても、指示語は一切使うな、この調書には臭いがねえ、音が聞こえねえからダメだなどと抽象的なダメ出しを繰り返し、指示語を使わず表現がくどくなると「読みにくいからダメだ。」などと言って何度も取り直しをさせ、「じゃぁ、どうすればいいんですか!」と言うと、「それを工夫するのがお前の仕事だ」などと見苦しい言い逃れをし、さらには、「刑事部長がお前が無能だから首にすると言っている。それを俺が庇ってやってるんだから有り難いと思え。」などとまで言う始末で、しかも後で分かったことですが、実はこのクソ上司は、私を庇うどころか、刑事部長から怒られる度に、「あれはshadowの出来が悪いからああなったので、私のせいではありません。あいつは検事に向いていないので首にした方が良いと思います。」とまで言っていたそうです。当時東京新任は4か月毎に部署を交代することになっており、私が4か月後に他の副部長の下に移った後、その副部長が、私が担当した事件の記録や調書の内容をきちんと刑事部長に見せたところ、刑事部長が、「shadowはちゃんと捜査してこんな良い調書が取れるんじゃないか。」と言い、副部長全員を集めた昼食会で、クソ上司に、「shadowのことだが、お前の報告と全然違うじゃないか!どういうことなんだ!」と言って思いきり叱責したそうです(ただ、このことを聞いても私は少しも嬉しくありませんでした。クソ上司の言い分を鵜呑みにして私を首にしようとしていた刑事部長も同罪だと思うからです)。私自身は、このような状況で、検事に任官して最初の2か月は東京地検に泊まり込みで家にも帰れず(東京地検の売店にあったワイシャツや下着を全部買い占めるはめになりました)、食事は1日1食、午後10時半ころに自販機で買って食べるカップラーメン1個のみという生活で、食事も睡眠もろくにとれないままノイローゼとなって5月末に倒れ、先輩検事がタクシーを呼んでくれてようやく深夜に官舎に帰り着いたところ、誰も居ないはずの官舎に灯りが付いており、何とお袋が来ていました。聞けば、以前から何度も電話していたが私が一度も電話に出ないので、心配して上京してきていたとのことでした。私自身、5月末に帰宅する直前頃、明け方東京地検のトイレに籠もってカッターナイフを首に当てて死のうとして果たせず、悔し泣きをしたこともあったのですが、この1件以来、こんなインチキ野郎が検事となり、しかも東京地検刑事部の副部長にまでなれるのが検察という組織の正体なのだとわかり、「こんな腐った組織のインチキ野郎どもに殺されてたまるか!」と開き直り、これ以後、上司も組織も全く信用しないことにし、以後は自分が正しいと思う感覚ややり方に従い、上司に逆らってでも自分が納得できるやり方で徹底的に捜査するというやり方に変えました。それで、以前にも投稿した、神戸地検公判部長室ドア蹴っ飛ばし事件に至るまで約4年間、以後上司との喧嘩闘争(まさに一度殺されかけた人間の怒りを根源とした喧嘩ですから、それこそ「てめぇぶっ殺したろか!」と言わんばかりの凄まじい闘争となります)に明け暮れながら泊まり込みで仕事をすることを繰り返していたわけです(背広の胸ポケットにはいつも辞表を入れていました)。この間、唯一喧嘩せず、それどころか心底尊敬できた上司は、以前にも述べた丙さんだけでした。ただ、あくまでも偶然ですが、私を怒らせて喧嘩闘争に持ち込ませた上司は、何故かことごとくその後懲戒免職や辞職、それに左遷に追い込まれています。あくまでも偶然ですが。なお、丙さんは、私が喧嘩しなかったからではなく、もともと能力があり、人格高潔で行く先々の多くの部下達から人望を集めていたため、出世して大活躍されました。ちなみにクソ上司は、翌年の新任検事1人を、私と同様にノイローゼに追い込んだ上に自殺させ、その後左遷されてもやり方を変えなかったため、どの地検に赴任しても嫌われ続け、そればかりか、クソ上司が転勤して去ると、地元の警察の幹部が一升瓶を持って地検に駆けつけ、「嫌な奴が居なくなって良かったですね。」とお祝いしてたちまち祝宴が始まるという事態にまでなりました。結局このクソ上司は、検察の面汚しとして恥と悪名を残して引退しました。まぁ、検察で一番最初に出会った直属の上司がこんな奴でしたから、私の検察組織に対する不信感、上司に対する不信感は、絶対に回復することはないわけです。だからこそ、「俺は検事じゃない。検事と同じ権限を持って働きながら、根性の腐った検事を監視する一般市民の代表だ。」となったわけです。
  • 2015-07-30 20:42
  • shadow
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[C2223] 芋けんぴ

実は若手の人と賭けをしました。

今回の記事にshadowさんがコメントをくれたら、私の勝ちで、芋けんぴ1袋となっていたのです。記事の続きにもご期待下さい。誰のことを指しているか分かると、きっと筆が止まらなくなりますよ。
  • 2015-07-30 20:58
  • オグちゃん
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