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今日で20年(終)

神戸に引っ越してから、通勤は楽になりました。官舎から歩いて10分程のところに職場があったのです。ただ、独身の私には、官舎が広く、家賃が高いのが問題でした。

私は、公判部に配属されました。公判部には地裁の公判(合議体が3つのほか、各部長と右陪席の単独)を担当する検察官として4名が配置されていましたが、私が一番期が若かったので、単独の法廷を2つ担当することになりました。そのため、私は暇と思われていました。ところで、震災の影響で、公判期日が取消になったため、本来であれば3月までに判決が終わっていたはずの事件が、次回に判決、論告求刑ということで残っていました。なお、あれだけの震災でしたから、職員の中にも被災した者がいましたし、一般の方も裁判どころではなかったはずです。捜査中で被疑者を勾留していた事件については、刑事部長が率先して、震災直後の状態で、起訴する事件と不起訴にする事件とに峻別し、処理を行ったと聞かされました。

私の直属の上司である公判部長とは犬猿の仲で、着任の挨拶に行ったら、いきなり嫌みを言われました。そして、引き継いだ事件記録に目を通していたら、次回判決、つまり、何もすることなく判決を聞く状態になっている事件について、公判部長から「これは執行猶予が付いたら控訴になるので、そのつもりで。」と言われました。しかし、この件で判決予定日の数日前になって、裁判所から呼出があり、執行猶予云々の次元の問題ではないことが分かりました。公判の推移を確認すると、紆余曲折があったことは伝わってきましたので、記録の検討等に2ヶ月頂くことにして、公判に臨んだところ、弁論を再開して、2ヶ月後に次回期日を指定した裁判所の訴訟指揮について、弁護人から異議の申立がなされたものの、これは認められませんでした。

この件は記録を検討して、訴因の変更を請求することになり、上司に決裁印をもらって回りましたが、最後の最後で検事正が「納得できない。」と言ってごねられたので、少し厳しい言い方をして説得した記憶があります。結局、判決内容に承服できないとして検察官控訴となりましたが、3月までに判決がなされていても後任の私が控訴趣意書を起案することになっていたはずです。

それから、避難所での犯罪をはじめ、震災関連の犯罪は報告を要する事件に指定されていましたが、家屋が半壊、全壊した場合に交付される義捐金をめぐっての詐欺が多かったと記憶しています。


嫌いな公判部長は刑事部長に異動し、後任の公判部長はナヨナヨした人でした。新任検察官が頼りないと細かくチェックし、少しでも判決が軽いと思ったら、念のために「要調」にする人でしたから、見かねた私は、「誰が公判を担当しても判決はこんなものです。これで要調にされたら、他の仕事ができませんよ。」と口を挟んだものです。それから、前述したとおり、合議体の事件を扱っていなかったので余裕があると思われて、明石支部の公判(単独事件だけでした。)も担当することになり、それ程事件数はなかったものの、明石にも通いました。ベテランの職員が、私が明石に来るのを楽しみにしてくれて、魚の棚商店街を案内したり、明石焼のお店に連れて行ってくれました。ただ、緊張してよくお腹を壊していたので、明石に行くときは非常事態を想定し、替えの背広上下を持参していましたが、それを見た先輩から、「オグちゃん、また背広を買ったのか。」と言われたことがあります。

神戸はアッという間に復興していきました。倒壊した高速道路を完全に破壊して、改めて建築するようになりましたし、道路工事が頻繁に行われていたので、交通渋滞が酷かったです。

一年間の公判部勤務が終わり、刑事部に移ると、あの嫌いな刑事部長から、「君は優秀だから、尼崎支部の応援に行ってくれ。」と言われ、本庁の庁舎を横目に見ながら神戸駅まで歩き、JRを使って尼崎支部に通うことになりました。そして、尼崎支部での応援を終えて2ヶ月後に本庁に戻ったら、嫌いな刑事部長は異動されてました。ケツの穴の小さい部長でした。

相当ベテランの方が尼崎の支部長をされていましたが、本庁の決裁がないと処分ができないため、決裁資料の作成に追われましたし(この体質は今も変わっていないと思います。)、別の検察官が問題意識を持たずに公判に臨んだ結果、道路交通法違反の事案で検察官控訴となり、どういう訳か私に控訴趣意書の起案をするよう厳命が下ったのでした。そのおかげで、尼崎の支部長とは仲良くして頂ける関係になりました(本庁や高検の悪口を言って盛り上がっていました。)。


神戸で働いていた当時のことで、書きたいことはまだまだあります。しかし、震災から「今日で20年」ということでブログに投稿するのは、これくらいにしておきます。

若手の人が、近いうちに、明石支部に行く用事があることを思い出し、私が明石支部に勤務した部分を追加しました。せっかくの機会ですから、魚の棚商店街を散策し、明石焼を堪能して戻ってほしいものです。
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コメント

[C2113] 公判部長室ドア蹴っ飛ばし事件

私はオグちゃんの1年後に神戸の公判部に赴任しましたよね。当然ナヨナヨした人が部長でした。某帝大をお出ましになった優秀な方だそうですが、現場経験が殆どなく、勾留執行停止や保釈に関する意見一つ自力で判断できず、何か言えば責任を問われると恐がってずるずると決裁を引き延ばし、「警察が悪い」「弁護士が悪い」「こんなの検事正の責任だ」「ボクのせいじゃない。ボクは最高検の監査対応で忙しいんだ」などと人のせいにして、結論を保留するばかりでしたから、仕事が停滞する一方で、当然私はブチギレて、「こんな問題も判断する能力がないなら検事なんか辞めてしまえ!俺はもうあんたを上司として認めん。今後あんたの指示には一切従わん。責任は俺が取るんだから文句言うな!」と怒鳴って公判部長室のドアを蹴っ飛ばして(実際には左ストレートで思い切りドアをぶち殴り開けて)部屋を飛び出しました。これが後に「神戸地検公判部長室ドア蹴っ飛ばし事件」として有名になったそうで(・・・実際に翌年赴任してきた後輩のA庁検事からも、「shadowさんの噂聞きましたよ。先輩検事から、『あの公判部長室のドアを蹴っ飛ばした勇気ある人が現れたそうだ』って。」と真面目に言われました。)。まぁ、44期三大奇人の面目躍如ってとこですか(←あぁ、また過激な投稿を・・・)。でもこの問題について、その後の検事正の解決の仕方が本当に見事で(「スカッとする話」)、心底感動しました。このおかげで私はその後7年も検事を続けられたわけですからね。
  • 2015-01-21 12:46
  • shadow
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[C2114] 初耳です。

心の中で、今回の記事に対して、必ずコメントを頂けるものと思っていました。賭けに勝ちました。

そんな事件があったことは初耳です。お互いに、上司に対して、言いたいことを言っていたようで、上司からすれば、扱いにくい輩だったと思いますね。そして、今の若手の人はどうしているのかなあ、一人で悩みを抱え込んでいないかなあと思います。
  • 2015-01-21 17:20
  • オグちゃん
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[C2115] 後日談

この神戸地検公判部長室ドア蹴っ飛ばし事件が原因で、ナヨナヨ部長さんが次席(典型的な腰巾着タイプで、上司に揉み手しすぎで両手の指紋が消えたとかいわれてたあの男です)に、「もうあいつの面倒は見られません。」と泣きついて、翌日から、当時公判部で某重大事件専従となっていた私と同じ苗字の副部長が私の決裁官になったわけです。後でわかったことですが、実は当時神戸の刑事部では、私が「問題児」だということで、筆頭検事(オグちゃんが前にブログで述べていた検事の後任の方です)以下、オグちゃん以外の検事は、全員私をシカトすることにしていたそうです。ところが、その後、検事正によるスカッとする解決があり、さらに実際に仕事上私と関わりを持った刑事部筆頭検事が、私のことを評価してくれ、「あいつ程噂と実態が違う奴は初めて見た。本当は仕事熱心で良い奴じゃねえか。」ということで、逆に刑事部の検事全員を巻き込む形で私との信頼関係を築いてくれたので、その後の神戸は、私にとって本当に着任して良かったと思える素晴らしい職場になったのです。ちなみに、その後、オグちゃんが検事を辞めるという情報が入ってきたときに、その筆頭検事が凄く残念がって、私に、「お前あいつの同期だろう?何で止められなかったんだよ!」と本当に悔しがっていました。
  • 2015-01-21 17:42
  • shadow
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  • 編集

[C2116] 後日談2と重要な後日談

ちなみにドア蹴っ飛ばし事件の後、なお頭に来ていた私が、人事異動の希望調査で、「上司一任、左遷歓迎。但し、今後A庁勤務は断固拒否する。」と書いて提出していたところ、次席から「こんなことを書かれたらワシの立場が悪くなるやないかぁ。」などと泣きつかれ、その後検事正に呼ばれました(秘書課の女の子が真っ青になって公判部まで迎えに来ました)。公判部長との喧嘩の件も含め、当然説教を食らうと思い、「説教ならたくさんです。辞めろと言うなら辞めますよ。」などと生意気な口をきいた所、怒りもせずニヤッと笑われて、「面白いね。久しぶりに上(上司)の顔色を見ない検事らしい検事が来た。俺はそう思って君のことを見ていたよ。」と言われました。しかも「君が今苦労しているのは次席と公判部長が馬鹿だからだ。だからこそ馬鹿な奴を相手に馬鹿な喧嘩をして自分の格を下げるな。」と諭してくれ、検事正の現役時代の遙かにスケールの大きい喧嘩の経験を教えてくれました(めっちゃ感動する内容でした)。その上で、「わかったか。男の喧嘩はこうやるんだ。まだまだ君は力不足だ。もっと自分を鍛えて能力を磨け。その能力で、馬鹿な上司にグウの音も出ない程やり返してやれ。男なら常に自分の刀を研いでおけ。但し、男が刀を鞘から抜くのは一生に一度だけでいい。」とまで言ってくれました。その上で、当時検事正が退官されるので送別会が開かれる予定になっていましたが、その送別会には必ず出席しろと厳命されたので、喜んで出席したところ、会の終了間際、私を呼んでくれ、居並ぶ次席、刑事部長、公判部長、特別刑事部長、交通部長らに、私のことを「俺にあと1年時間があれば、こいつをもの凄い検事に育て上げる自信がある。しかし俺はもう辞めるから、俺の代わりにお前達がやるんだ。いいな。」とまで言ってくれました。翌日私が検事正室に赴き、心から感謝と尊敬の念を込めて、ありがとうございましたと最敬礼したことは言うまでもありません。ちなみに、その後、例のナヨナヨ部長が私を呼び、「検事正が君のことを褒めていたから、ボクも今日からは君のことを良い検事だと思うことにするよ。」などと恥ずかしげもなく言ってのけたので、「あぁ、俺はこんな人を相手に本気で喧嘩していたのか。」と思い、検事正が、「馬鹿な奴と馬鹿な喧嘩をするな。」と言っていたことの意味が心から実感できました。これが切っ掛けで、その後私は上司を直接怒鳴りつけるような大人気ない喧嘩をしなくなったのです。もっとも、その後たまに上司に切れそうになって、リミッターが外れるのを覚悟で、「はぁ?」と聞き返すと、それだけで相当怖い顔になっているらしく、目の前の上司が、慌てて両手をかざしながら、「ま、待て、落ち着け、怒るな。れ、冷静になってくれ。」などと言って慌てふためくので、怒鳴る前に白けてしまい、馬鹿な喧嘩をしなくて済んだという要素もあるのですが・・・。
ちなみに、もう一つ極めて重要な後日談として、年末に私が結婚した後、オグちゃんが公判部の部屋に来て、私に、ちょっと照れくさそうにしながらも嬉しさを隠しきれないといった様子で、「私も結婚することになりました。」と報告してくれたことがありましたね。あのときの奥さんとオグちゃんの幸福の刀は本物で、今でも錆び付いていないはずです。だから悲観的にならずに奥さんを大事にして下さい。
  • 2015-01-21 21:09
  • shadow
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平成25年5月、アメーバ・ブログから引っ越してきました。役に立つことも、役に立たないこともマイペースで書いています。日記のような感じでしょうか。

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