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仕事始め

平成27年1月5日となりました。新年おめでとうございます。

世間一般も今日から仕事始めであると思いますが、私も仕事始めでした。これは珍しいことです。

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仕事場に出ると、玄関脇に飾ってあり、正月気分になりました。今日一番のハプニングは事務所に来て下さった方に事務所付近の地図を郵送していたのですが、これが返送されていたことです。住所の番地を間違ったら、届きませんね。情けないミスをしましたが、何故防止できなかったかが問題です。


ところで、年末年始は外出することを考えましたが、現実は自室であるロフトに籠っていました。不愉快なことがあったため、最悪でした。酒は元旦に口にしただけですから、かなり節制できたと思います。久しぶりに会った義母が、私に何か言いたげな様子でしたが、げっそりした私の顔を見て諦めたようでした。義母が私に越乃寒梅をプレゼントしてくれたので、御礼に「餃子の王将」のぎょうざ倶楽部カードを上げました。長女が「パパは、何枚持ってるの。」と言っていましたが、もう在庫は無いですね。

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次女が、義母らと最上稲荷に初詣に行き、買ってきた「OH!まもり」(表・裏)です。フジテレビ系列のOHKのマスコットである「OH!君」が刺繍されています。数年前のことになりますが、この御守りを買うため、大晦日の午後6時頃、南方(みなみがた)にある家を出発し徒歩で最上稲荷まで行ったことを思い出しました。自分を追い越して山道を登って行く車のヘッドライトの灯りを追って、あそこまでは歩くのだなと思いつつ、街灯もなく真っ暗な道をひたすら歩きました。

ところで、箱根駅伝の中継を観て、青山学院大学の選手の明るさに感動しました。良いタイムを出して苦しいはずなのに、余裕があったように思います。中継地点に着くなり倒れ込む選手がいますが、今一つ好きになれません。そして、長年出場記録だけを延ばし、パッとしない暢気な大学は、シード権はもちろんのことですが、大会の出場権まで失うのではないでしょうか。それから、白バイに注目していましたが、先導は新型のオートバイでした。


高倉健さんの遺作となった「あなたへ」の原作を読み、録画していた追悼放送を観ましたが、田中裕子さんが良いですね。田中優子さんも素晴らしい人です。

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慣れない検査

平成27年1月6日になりました。

意外によく眠れました。のんびりしていたら、部屋の時計が午前7時30分になっていましたが、10分くらい進んでいると思い込んでいました。ところが、携帯電話で時間を確認すると、それが正確な時刻であることが分かり、冷たい雨が降る中、テクテク歩いて病院に行きました。

予約した午前8時の少し前でしたが、受付を待つ人が沢山いました。私が一番若かったように思います。受付番号27が呼び出されるまで時間がありました。放射線検査の方に行くよう指示され、そこでも少し待ち、胃や大腸の内視鏡検査をする部屋に移動して点滴が始まりました。

小柄で、見るからにベテランの看護師さんが、私の右腕をペシペシ叩いて血管を浮かせ、点滴の針を刺されたときは痛かったです。看護師さんが「優しい腕をされてますね。力仕事ではないですね。」と言われました。意外に話好きの看護師さんでした。

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古今亭志ん朝師匠の落語を聴きながら、ボーッとしていたら、点滴の輸液が半分くらいになったところで、CTの検査室に移動し、機械のところに横になって、ベルトを巻かれ、呼吸の練習(息を吸った状態で10秒程止めて我慢する。)を繰り返した後、心臓の血管を拡張する薬を口の中に噴霧され、心拍数が多いのでこれを少なくする薬を点滴で体内に入れ、さらに、造影剤を入れて、検査の本番は終わりました(一つの文章を長くして、検査が長かったことをお伝えしたつもりです。)。右腕が上がらないので、頭上に枕様の物を置いてもらって右腕を載せていました。

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検査の後も点滴は続きました。先程の看護師さんが、別の看護師さんに「血をサラサラにする薬を服まれているので、しっかり止血してあげて下さい。」と伝え、点滴の輸液が無くなったところで針を抜かれました。その看護師さんから「10分程じっとしていて下さい。完全に止血できていないと、血がピューッと出ますから。」と注意され、その光景を想像してそれはあかんやろと思いました。また、これから内視鏡検査をされる高齢の方が血圧を測ったところ、200を超えていたので驚きました。

検査の結果が判明するのは午後3時頃とのことで、その後に主治医の先生から説明を受けることになっています。試験の合格発表を待つ、嫌な気分です。知り合いの人に手紙を書こうと思い、その準備をしてきました。

慣れない検査(続)

診察室に呼ばれる予定は午後3時30分でしたので、診察室から離れたところでのんびりしていたら(知り合いの人に手紙を書き、ポストに投函しておきました。)、通りがかった若い看護師さんが気を遣って下さり、受付票を持って行かれました。しかも、午後3時前には診察室の前の待合に来るよう指示され、アッという間に診察室に入ることになりました。

主治医の先生は散髪されていました。冠動脈のCT検査の結果、目立った異常は無いとのことでした。私は右冠動脈に2本のステントを留置しています。2本目のステントを留置したのは昨年の1月6日でした。人間の体は、ステントを異物と思い、これを何とかしようとしてステントを留置した後の6ヶ月から1年以内に再狭窄することが多いそうです。この点、私は問題が無かったので、主治医の先生は「薬をきちんと服んでいれば、次のCT検査は2、3年後でもいいかもしれません。」と言われました。なお、右冠動脈の別のところに少し狭窄していると思われる部位がありました。

ところが、私はかなりの心配症ですから、「先生、来年の1月6日にお願いできますか。」と言ったのがきっかけで、残念なことが判明しました。主治医の先生は「私はいません。遠いところに行っています。」と言われ、最終的にはこの4月に関東方面に転勤されるとのことでした。何も知らなければ、主治医の先生が転勤された後の4月以降に検査のために病院に行くところでした。

心筋梗塞を発症した私をドクターカーで迎えに来て頂いたときからの縁で、主治医の先生には弱音を吐いて、心配症の⚪️⚪️さんと呼ばれてきましたが、改めて人の世は必ず別れがあるということを痛感しています。

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「天人」

昨日、つまり、平成27年1月7日、県外に住む同期から、「天人」と題する本を読んで感銘を受けた旨のメッセージが届きました。

昨年末のことになりますが、書評を見ていて、「天人 深代惇郎と新聞の時代」という本が出版されたことを知りました。かつて朝日新聞の天声人語を担当され、40代で亡くなった深代惇郎さんについて書かれた本でした。深代さんの天声人語は定評があり、私も書籍化された天声人語を読んだ記憶がありますが、改めて読み返してみることにし、図書館から深代さんの著作数冊を借りる手続とともに、「天人」を予約したのでした。


同期とは有難いものです。昨日、当地では、三庁(裁判所、検察庁、弁護士会)合同による司法修習生の歓迎会があり、若手の人が出席しました。司法修習生には楽しい思い出をたくさん作ってほしいものです。

ところで、私は、現在、「芸能人闘病記」という番組を観ています。心筋梗塞の経験者としては、妙に納得するものがありました。

年間努力賞

次女(小学4年生)が、空手で年間努力賞を頂きました。

「年間努力賞」というのは、少年部の場合、所属する道場において、一番稽古に通った回数が多い者に与えられる賞です。なお、所属する道場以外の道場に稽古に行っても構いません。次女は、昨年、つまり、平成26年の一年間に110回稽古に行ったようです。大体週2回のペースで稽古に行ったことになりますが、所属する道場によっては、それ以上でなければ年間努力賞を頂けないこともあります。

そして、全道場を含めて、最も稽古に通った回数が多い人が「最優秀年間努力賞」になるわけですが、その回数に唖然としました。年末年始、ゴールデンウイーク、お盆で稽古が休みになる期間があるにもかかわらず、何と420回も通った人がいたようです。ここまでになると、脱帽する以外にありません。空手の先生以上に道場に通っていたのではないかと思われます。きっとこの記録は抜かれないでしょう。次女と違う道場に所属する人でよかったです。

平成27年1月12日の出来事について

平成27年1月12日、成人の日の出来事について残しておきます。

「成人の日」と言えば、1月15日しか連想しません。昨日、バンキシャという番組に出演されていた順天堂大学の天野篤先生は、自分が当事者であった成人の日は三浪の状態で、予備校の模擬試験を受けていた旨発言されていました。三浪して出遅れた感があったにせよ、今の天野先生はその遅れを取り戻し、余りあると思います。私は、成人の日に市役所が主催した公的行事に顔を出した記憶がなく、冷めた生き方をしていたので恐らくは下宿でゴロゴロしていたはずです。

さて、今日は、矢作直樹先生が書かれた「おかげさまで生きる」を電子書籍で購入、ほぼ読み終わりました。昼から、次女と近くの公園に行って、バドミントンをしました。次女は風が強いと言っていましたが、私と同様に下手であり、ラリーが最高で5回続いたに止まりました。したがって、次女には、私がバドミントンの選手を目指していたというのが嘘とばれました。その後、次女と花札をしたのですが、ルールを忘れたと言っていた次女に負けました。

夕方から大相撲中継を観て、ゲストで出演されていた紺野美沙子さんは違うと思いつつ、家族が出払って、夕食の準備がされていないことを利用して駅前の「餃子の王将」に行ってきました。途中、自転車に乗った若手の人に会ったのですが、私に気付くことはありませんでした。若手の人は、自転車に乗った女性とほぼ並走する状態でしたから、奥さんだったのかもしれません。

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麻婆豆腐の激辛に挑戦しましたが、完敗でした。情けないことに食べ切ることができませんでした。しかも、瓶ビール(大)もコップ1杯分を残しました。餃子も激辛になっていました。会計の際、店員さんから「麻婆豆腐の激辛、どうでしたか。」と確認され、思わず「辛かったけど、美味かったです。」と言ってしまいました。よく考えてみたら、私は麻婆豆腐がそれ程好きではないのですね。

アッという間に三連休も終わりです。

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危うく遅刻するところでした。

昨年末、乗っていたバスが交通渋滞に巻き込まれ、目的地に遅刻した苦い経験があるため、本日、つまり、平成27年1月14日、一番確実な交通手段であるJRを使って移動し、定刻の1時間前の午後3時頃には目的地に到着しました。

そして、15分前に会議が行われる部屋の位置を確認したところ、部屋の横の待合いに若い男の人がいました。マスクをして、背広の上下でした。私が待合いのソファに座っているのに、その前をウロウロし、ため息をついたかと思うと、水分を補給して、さらに屈伸運動まで始めました。かなり緊張されていることが伝わってきたので、私は、きっと弁護士になりたての人なのだろうと思いました。ただ、その人がバッジを付けていなかったこと、珍しく弁護士バッジを付けている私をあえて無視するような態度をとったことは気になっていました。

ところが、定刻の3分前になってもその状態が続き、胸騒ぎがした私は、覗き窓から部屋の中を覗いたところ、何と私以外の人はすべて席について、談笑していました。慌てた私が荷物を持って部屋に入ると、待っていましたとばかりに、ものの1、2分で予定されていた手続が完了しました。あっけないものでしたが(だから、私が行くことになったのでしょう。)、危うく遅刻するところでした。

では、屈伸運動していた若い人は、一体何者だったのか。もしかしたら、午後4時30分からの関係者だったのかもしれません。

夕食です(豚の生姜焼き)。

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平成27年1月14日の夕食です。メインは豚の生姜焼きでした。味付けが甘めで、少し焦げたところも気に入りました。後で、白菜のスープも登場しましたが、火傷しそうな気がしたので手を出しませんでした。次女が、小さな茶碗に半分だけご飯をよそってくれました。キャベツの千切りには、たっぷりドレッシングをかけました。ビーフンは普通でした。おかずがビーフンだけのこともありますから、全体としては贅沢なおかずでした。

今日は、長女が体調を崩し、学校を休みました。かかりつけの内科の先生に診て頂いたようですが、先生だけでなく、看護師さんも長女が大きくなったことを驚かれたと思います。そして、私の状態も気にされたはずです。長女に詳細を確認するのが怖くて、長女との話題を変えました。それから、1月6日の病院での検査の待ち時間に手紙を書いて送った方から返事が届きました。優しいけど、間違ったことをしたら恐いお母さんになられると思っています。

同期の事務所で御厄介になって、今日で丁度一年になりました。同期は、決して私のことを怒りませんでした。同期と二人きりになったとき、「世話になって、今日で一年になるよ。有難うね。」と言ったら、同期が照れたように見えました。

明日は午前、午後ともに一連の関係で仕事が入っています。初めてのことで緊張もしていますが、天気が今一つのようですし、少し離れた場所に移動する必要があるので、遅刻しないよう注意します。

豪雨でした。

家から仕事場に出てくる時間帯は結構雨が降っていました。そのため、仕事場を出るときは、資料をビニール袋に詰めて雨で濡れないようにし、一回り大きな傘を差して駅まで歩きました。途中、自転車を押して歩いている若手の人に会いました。いつの間にか豪雨になっていました。

目的地には定刻の30分以上前に到着し、定刻になるのを待ちました。ところが、私の立場を相手の方に理解して頂くのに苦労しました。たしかに中途半端な立場ではありました。そして、帰りは雨が小降りになっていたものの、駅までの道に迷いました。やっとバス停を発見し、ずっと遠くにバスが見えたので、急ぎ足で歩いたところ、逆方向に行くバス停でした。

午後は弁当をサッと食べて、急いで書類を起案した上、裁判所でビデオを視てから面談を受け、仕事が終わりました。面談の際、私が作成した書類に目を通していないと思われる、頓珍漢な質問を連発され、少しムッとしました。

なお、午前中に自転車を押して歩いているところに出会った若手の人はインフルエンザにかかっていました。

今日で20年(1)

平成27年1月17日になりました。

午前6時前には目を覚ましていました。土曜日で休みと思っていたら、家の中ではいろんな足音がしており、居間に行ってみると、子ども三人が学校に行く用意をしていました。土曜日にも授業があるそうです。岡山県は学力テストで全国的な順位において低迷しているため、土曜日も授業をすることにしたのかもしれません。我が家には、学力テストの平均点を下げて岡山県の順位を下げていると思われる長男がいますので、親として責任を感じていますが、学力はもちろん、道徳面での授業も工夫して頂きたいと思います。どういう訳か私のお弁当も準備されていました。私も起きて、仕事に行けということかなと思いました。


さて、阪神淡路大震災が発生して丁度20年が経ちました。時が経過するのは早いです。以前のブログにも投稿したことがありますが、記憶のままにあの日から起きた出来事を振り返ります。

平成7年1月17日は平日でした。記憶だけを頼りにすると、月曜日であったように思います。当時の私は高松で働いていましたが、4月には異動が予定されており、その一週間前の1月10日(これが週明けの月曜日であったと記憶しています。)、検事正から私の異動先が神戸に決まったとの内(々)示があったのでした。


それまでの神戸は、新幹線に乗車した際に新神戸駅を通っただけで、実際に足を踏み入れたことはありませんでしたし、一年だけの勤務で異動になるのはもったいないとのアドバイスを受け、新任は大阪を希望し、いずれは神戸で仕事がしたいという希望を抱いていました。なお、私は通勤するのに押しくら饅頭の状態で電車に乗るのが嫌でしたし、人(新任)が多いのも苦手でしたから、東京は希望していませんでした。今となっては、一度は東京でも仕事をしたかったと後悔しています。

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オグちゃん

Author:オグちゃん
平成25年5月、アメーバ・ブログから引っ越してきました。役に立つことも、役に立たないこともマイペースで書いています。日記のような感じでしょうか。

しかし、ブログから新しい出会いが生まれ、有難いものであるということも知りました。

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