Entries

「原因において自由な行為」について(1)

先日のブログに頂いたコメントに「原因において自由な行為」という刑法の論点が登場しましたし、写真を掲載した刑法のノートも、その論点の部分ですから、これについて書かせてもらいます。


昔は、新司法試験のように事例が何ページも書いてあるような問題はなく、事例といっても数行でしたし、いわゆる一行問題というものがありました。


「原因において自由な行為について論じなさい。」という問題が出題されてもおかしくありませんでした。


通常、一行問題の場合は、定義から入ります。つまり、原因において自由な行為とは、自らを責任無能力の状態に陥れ、その状態で犯罪の結果を引き起こすことをいいます。ここで責任無能力とは、泥酔や睡眠状態を意味していると考えて下さい。


そして、刑法39条1項は、「心神喪失者の行為は、罰しない。」としており、実行行為のときに(泥酔して)責任能力がなければ、その者の責任を問えないことになりますが、それでいいのかというのが問題の出発点です(責任主義行為と責任の同時存。)。


事例を挙げると、酒癖が悪く、決まって暴れる人間がいたとします。酒が入らないといい人間で、暴れたりしません。そのことを自覚している人間が、嫌な上司を殴ってやりたいと考えたものの、素面でそんなことはできないので大酒を飲んで泥酔し、何も分からない状態になり、当初意図したとおりに、上司を殴ったとしましょう。



人の身体に対する不法な有形力の行使ですから、暴行罪(刑法208条)の構成要件に該当する行為はあります。さあ、どう考えるべきでしょうか。

「原因において自由な行為」について(2)

それでは、続きを書かせてもらいます。


前の事例で、飲酒行為をもって暴行の実行の着手があると考えることはできないでしょうか(飲酒行為を原因設定行為と言います。)。


この点、第三者を自己の道具として利用し、犯罪を実行する場合を間接正犯と言うのですが、責任能力のない自分を道具として利用することが可能ですから、原因設定行為をもって実行行為と考えることが可能な場合があると言えます。


ただ、間接正犯の場合には、利用者の利用行為が、第三者である被利用者の行動を完全に支配するものであることが要求(道具性)されるのと同様に、原因設定行為が、責任無能力状態の自己の行為を完全に支配できるものであることが必要であると解されます。


そうすると、責任無能力状態における行為が、ある程度複雑な動作を必要とされる通常の作為犯の場合には、責任能力がある状態のときに、あらかじめこれを支配するような布石をすることは困難であり、したがって、原因設定行為をもって実行行為と考えることはできないのです。


ところで、事例の暴行の場合は、それほど複雑な行動が必要とされないと思われますから、飲酒行為をもって実行行為と考えても差し支えないと考えます。結局、殴ったときは泥酔状態で責任能力がなかったから、犯罪は成立しないと言えないことになります。


以上を前提にして、クレーン車の事故に、原因において自由な行為の理論があてはまるのか考えて下さい。少なくとも、結果の発生を認識認容していたとは言えないような気がします。


少なくとも、薬をきちんと服用しなければ運転中に気を失うなどの症状が生じるため、自動車の運転を差し控える注意義務があったのに、これを怠って自動車を運転した過失はあったと言えるでしょう。


それから、運転免許を取得する際、持病があることを申告していない点をとらえ、無免許と考えることはできないでしょうか。そうすると、自動車運転過失致死と道路交通法違反(無免許運転)は併合罪(刑法45条前段)となり、刑を重くすることが可能です。

責任能力について(1)

今回から責任能力について書いてみます。



刑法は、「心神喪失者の行為は、罰しない。」(39条1項)、「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」(同条2項)と規定しています。



そして、判例によると、心神喪失とは、精神の障害により事物の理非善悪を弁別する能力たはその弁別に従って行動する能力のない状態をいい、心神耗弱とは、その程度には達しないが、その能力が著しく減退した状態をいうとされています。



分かりやすく言えば、心神喪失は、自分が悪いことをしていると全く分からないか、分かっていても止められない状態であり、この状態で罪を犯しても処罰されません。これに対し、心神耗弱は、著しく能力が減退している状態です(この判断は微妙です。)。心神耗弱の場合は、必ず刑が軽くなります(必要的減軽)。



通常、責任能力が問題となるケースでは精神鑑定が行われ、鑑定書には鑑定医の意見が記されていますが、心神喪失等にあたるかの法律判断は裁判所に委ねられていますから、鑑定医の意見に拘束されるわけではありません。重大な事案であれば、何度か精神鑑定が行われることも稀ではなく、裁判所は期待する鑑定医の意見が出てくるのを待っている感じさえします。



また、刑事訴訟法で、裁判所は「法律上犯罪の成立を妨げる理由又は刑の加重減免の理由となる事実が主張されたときは、これに対する判断を示さなければならない。」(335条2項)と規定されています。つまり、裁判所は、判決の中で、これらに対する判断を示すことが義務になっていますから、弁護人としては、きちんと心神喪失等の主張をしなければなりません。したがって、冒頭手続で、裁判所から弁護人の意見を求められた際、「法335条2項の主張として、心神喪失の主張をします。」と述べるべきです。この点、情状となる事実とは厳に区別される必要があります。

責任能力について(2)

責任能力について論じ始めたからではないと信じたいのですが、責任能力をもう一度勉強しなければならない事態に直面することになりました。


昔、公判で責任能力が争われている事件を担当したとき、さっぱり分かりませんでした。特に「電波が飛んできて、命令された。」という被告人の説明には参りましたね。しかし、ドキドキしているのは私だけで、裁判官、鑑定人の医師は全く動じていませんでした。


もう少し頭を整理して、法的なことを書きたいと思います。

責任能力について(3)

少し前の日弁連「裁判員本部ニュース」の記事によると、裁判員裁判の判決分析と報告がなされており(報告は平成23年9月にされています。)、責任能力が問題となった事案について、興味を惹くものがありました。


まず、弁護人が心神喪失を主張した事件で、検察官が完全責任能力を主張した、つまり、当事者の主張が真っ向から食い違ったものの、判決では心神耗弱が認定された事案がありました。これに対し、弁護人が心神耗弱を主張した事件では、いずれも検察官の主張どおり、完全責任能力と認定されているということです。


これまでのブログで説明させて頂いたように、心神耗弱は、著しい能力の減退を意味しており、この判断の難しさが原因であると思います。心神喪失であれば、(判断)能力はゼロなのですが、心神耗弱と認定されるために必要な「著しさ」が何を意味するのかが、今一つ分かりません。


今後は、心神耗弱という主張は避けるべきかもしれません。

責任能力の判断は難しい。

最近、刑事裁判で被告人の責任能力を争うことについて虚しさを感じています。


やはり責任能力に関する判断は難しいです。裁判員が理解できなくても無理はなく、裁判官、検察官、弁護人の中にも経験を積んでいなければ、理解できていない人がいるはずです。




裁判員裁判で被告人の責任能力を争う場合、以前ですと、医師が作成した鑑定書の内容が難しいため、これを要約したものを取り調べることがありましたが、結局は、ページ数が減っただけで、裁判員には何を言っているか分からないという事実に変化はなかったようです。



その結果、検察官が鑑定書を証拠調べ請求しても、裁判所はこれを採用しないという前提で、鑑定人に分かりやすいように法廷で証人として証言してもらうことになりました。もっとも、鑑定人の証言内容を聞いて、もう一度精神鑑定をする必要があるという結論になるかというと、そんなことをしていたら、裁判員裁判は当初の予定通り終了しないことになります。したがって、検察官が、被告人の責任能力に問題がないとした事案の場合、私が見ている限り、裁判官は証人や被告人に対し、その責任能力に問題がないという結論を導くための質問をに終始していると感じました。特に公判前整理手続の中で、裁判所が弁護人の(精神)鑑定請求を却下していた場合にはそれが顕著で、裁判員裁判において、裁判官が行う質問は責任能力に問題がないことに向けて、執拗かつ見事なものでした(一言で表現すれば、えげつないです。)。




その意味では、検察官が、被告人は心神耗弱であった(不完全ながらも責任能力はあった。)として起訴した事案で、弁護人が、そうではなく、心神喪失であったと争う場合が最もやりがいがあるように思います。



物事には順番があります。

書面を起案する際、何を書くか考えた後、書く順番を考えるはずです。物事には順番があり、とにかく書いてあればいいというものではありません。



責任能力については裁判所が判断すべき問題であり、鑑定人の意見に拘束されません。したがって、①動機が了解可能であること、②犯行が目的達成のために合理的であること、③犯行時の見当識が保たれていること等を認定して、被告人の責任能力に問題はなく、これは鑑定人の証言にも符合するという論理展開をすべきです。そして、この理屈は裁判員裁判でも変わらず、むしろ裁判員が鑑定人の意見に引きずられないないように配慮が必要であるとして訴訟当事者に協力を求めた以上、尚更ではないかと思うのです。それにもかかわらず、冒頭から「信用できる鑑定人は、…と言っている。」と指摘されたので、違和感を感じました。


ただ、刑事裁判の場合、判決は、公判廷において、宣告によりこれを告知するとなっていますから(刑事訴訟法342条。この点は、民事裁判の場合、「判決の言渡しは、判決書の原本に基づいてする。」(民事訴訟法252条)と規定されているのと異なります。)、告知の内容をそのまま裁判書にしていたことになります。かつて告知の内容と裁判書の内容に微妙な表現のズレがあり、問題になったことを考えると、今回は評価すべきことなのかもしれません。

Appendix

カテゴリ

Extra

プロフィール

オグちゃん

Author:オグちゃん
平成25年5月、アメーバ・ブログから引っ越してきました。役に立つことも、役に立たないこともマイペースで書いています。日記のような感じでしょうか。

しかし、ブログから新しい出会いが生まれ、有難いものであるということも知りました。

最新記事

検索フォーム

アクセスカウンター

フリーエリア

QRコード

QR

天気予報


-天気予報コム- -FC2-